グラナドス没 ― 1916年3月24日
芸術の神に愛された音楽家は、ときに悲しい最期を与えられることがある。20世紀前半のスペインを代表する作曲家、エンリケ・グラナドスの場合は、大西洋の海の藻屑となって天に召された。1916年のこの日、彼はオペラ《ゴイェスカス》のアメリカ初演の成功の美酒に酔いながら、祖国に戻るサセックス号の船上にいた。船がドーヴァー海峡にさしかかったとき、ドイツの潜水艦Uボートから魚雷が発射された。
ギター曲としても愛奏されているグラナドスのピアノ音楽の代表作が、1892年に書かれ彼の名声を世に広めた《12のスペイン舞曲》である。中で最も親しまれているのが、アンダルシア地方の風景を描いた第5番「アンダルーサ」だ。孤独なつぶやきを思わせる変則的なリズムの上で嘆きの歌が切々と奏でられる三部形式の音楽で、中間の真珠の輝きを思わせるメロディーは、まるでグラナドスの非業の死を予告していたかのように、哀切を帯びて美しい。
Enrique Granados y Campiña
英仏海峡でドイツ海軍の潜水艦による魚雷攻撃で船は沈没、救命艇に一旦乗ったものの、波間に浮かぶ妻の姿をみると即座に飛び込み、そのまま帰らなかったという。
(1867.7.27 〜 1916.3.24、スペイン)
近代スペイン音楽の開拓者
アルベニスと並ぶ現代スペインの代表的作曲家。同時に優れたピアニストとして知られ、ティボーやカザルスのような大家とも組んでしばしば演奏会を開いた。1901年にはバルセロナに音楽学校を設立するなど、音楽教育にも力を注いだ。彼の作曲の本領はアルベニスと同じくピアノ音楽にあり、カタロニア地方の民族色彩豊かな『スペイン舞曲集』や、ピアノ組曲『ゴイェスカス』が代表的作品。後者をもとにして後に3幕の歌劇『ゴイェスカス』が書かれたが、その中の《間奏曲》はチェロ独奏用に編曲され愛好されている。
1916年歌劇『ゴイェスカス』のアメリカ上演の際渡米したが、帰途、乗船が英仏海峡でドイツの潜水艦に撃沈され、惜しくも49歳で世を去った。